長崎県埋蔵文化センター公式サイト
コンセプト
センター所長あいさつ
沿革
業務概要
センターの組織
出版物
閉じる
施設概要
各施設紹介
利用申請について
閉じる
発掘調査情報
イベント情報
年間スケジュール
閉じる
東アジア考古学情報検索について
東アジア考古学情報検索
閉じる
遺跡情報検索
遺物情報検索
図書情報検索
長崎県文化財情報検索
県内資料館検索
閉じる
主な遺跡・遺物について
主な遺跡
主な遺物
閉じる
文字の大きさ 小さくする 中くらいの大きさ 大きくする
リンクサイトマップトップへ

センター概要施設案内スケジュール東アジア考古学情報情報検索主な遺跡・遺物
主な遺跡・遺物紹介

主な遺跡

主な遺物

TOP > 主な遺跡・遺物紹介 > 主な遺物
主な遺物

1 つぐめのはな遺跡出土漁撈関連遺物(つぐめのはないせきしゅつどぎょろうかんれんいぶつ)
2 泉福寺洞窟出土豆粒文土器(せんぷくじどうくつしゅつどとうりゅうもんどき)
3 原の辻遺跡出土ト骨(はるのつじいせきしゅつどぼっこつ)
4 恵比須山遺跡出土青銅製把頭飾(えびすやまいせきしゅつどせいどうせいはとうしょく)
5 根獅子遺跡出土女性人骨〔頭蓋骨〕(ねしこいせきしゅつどじょせいじんこつ〔ずがいこつ〕)
主な遺物情報マップ
6 笹塚古墳出土亀形飾金具(ささづかこふんしゅつどかめがたかざりかなぐ)
7 〔ホゲット石鍋製作所遺跡他〕出土滑石製石鍋(〔ほげっといしなべせいさくじょいせきほか〕しゅつどかっせきせいいしなべ)
8 鷹島海底遺跡出土元寇関連遺物(たかしまかいていいせきしゅつどげんこうかんれんいぶつ)
9 出島和蘭商館跡出土遺物(でじまおらんだしょうかんあとしゅつどいぶつ)
10 原城跡出土キリシタン関連遺物(はらじょうあとしゅつどかんれんいぶつ)


遺物情報検索 長崎県内の遺物情報をもっと詳しく検索することができます。


1
つぐめのはな遺跡出土漁撈関連遺物(つぐめのはないせきしゅつどぎょろうかんれんいぶつ)指定:― 時代:縄文時代(平戸市教育委員会所蔵品)

つぐめのはないせきしゅつどぎょろうかんれんいぶつ写真 北松浦半島の最北部に位置する平戸市田平町にあるつぐめのはな遺跡から、漁撈(ぎょろう)に関連する遺物が数多く発見されています。漁撈に関連する遺物として、石銛(いしもり)、石匙(いしさじ)、大型の石錐(せきすい)等が見つかっています。中でも石銛の本数は100本以上発見されており、この時代において一箇所の遺跡では日本最多の出土本数を誇ります。同遺跡からはクジラやイルカの海獣骨(かいじゅうこつ)が確認されていることから、これらの動物を捕獲・解体するときの道具としてこれらの石器が使われたのではないかと考えられています。石銛は捕獲する時に、石匙は解体する時に使われた道具ではないかと推測されています。縄文時代において、銛を使った漁撈を営んでいたことを示す貴重な遺物です。
ページTOPへ


2
泉福寺洞窟出土豆粒文土器(せんぷくじどうくつしゅつどとうりゅうもんどき)指定:国指定重要文化財 時代:縄文時代(佐世保市教育委員会所蔵品)

せんぷくじどうくつしゅつどとうりゅうもんどき写真 泉福寺洞窟で豆粒文土器は発見されました。この土器は、土器が製作され始める縄文時代になってまもなくして作られたものです。豆粒文土器は、土器の口縁部(こうえんぶ)に豆粒(まめつぶ)の大きさの文様が連続して施(ほどこ)されていたことから名づけられました。土器の表面には、煮炊(にた)きしたときに付着したと思われる煤(すす)の痕が残っています。煤は、実際に使われていたことを示しています。土器の発明は、“焼く”だけの調理法から“煮(に)る”調理法が加わり、食生活を大きく変化させました。
【遺物の大きさ】
口径部:13.0cm(復元)  高さ :24.0cm(復元)
ページTOPへ


3
原の辻遺跡出土ト骨(はるのつじいせきしゅつどぼっこつ)
指定:― 時代:弥生時代(壱岐市教育委員会所蔵品)

はるのつじいせきしゅつどぼっこつ写真 原の辻遺跡の居住区(きょじゅうく)にある隅丸方形(すみまるほうけい)の住居の中から、イノシシの肩甲骨(けんこうこつ)がまとまって発見されました。二等辺三角形状の肩甲骨の表面には、黒い斑点(はんてん)が2列にわたって計10個残っていました。
ト骨は、イノシシやシカの肩甲骨を焼いて、骨に入るヒビの入り方で吉凶(きっきょう=占った内容が良かったのか悪かったのか)を占う時に用いられました。「魏志倭人伝」(ぎしわじんでん)にも「何かを行う場合には、骨を灼(や)いて吉凶を占う」という記載があるように、大切なことを決める時に骨占いに使われたものと考えられています。
【遺物の大きさ】
幅 : 13.0cm  高さ:22.0cm
ページTOPへ


4
恵比須山遺跡出土青銅製把頭飾(えびすやまいせきしゅつどせいどうせいはとうしょく) 指定:県指定有形文化財 時代:弥生時代(対馬市教育委員会所蔵品)

えびすやまいせきしゅつどせいどうせいはとうしょく写真 対馬の中央部、三根湾沿いに広がる恵比須山遺跡の8号石棺から発見されました。この青銅製把頭飾は、剣を持つ柄(え)の頭に取り付けられた飾(かざ)り具として用いられました。半円形に広がる部分には粒状の造出(つくりだ)しが丁寧に配列(はいれつ)されています。中央の笠(かさ)状の部分の中は空洞になっており、鈴状(すずじょう)の銅片が入れられて、空いた部分から音が鳴るように工夫されています。遺物としてだけでなく、美術工芸史の上でも貴重な資料価値があります。
【遺物の大きさ】
幅 : 7.0cm  高さ: 4.0cm
ページTOPへ


5
根獅子遺跡出土女性人骨〔頭蓋骨〕(ねしこいせきしゅつどじょせいじんこつ〔ずがいこつ〕) 指定:― 時代:弥生時代

ねしこいせきしゅつどじょせいじんこつ写真 平戸島にある根獅子遺跡の箱式石棺墓(はこしきせっかんぼ)から埋葬された人骨が発見されました。人骨は、何重にも重なった蓋石に守られるように、脚を直角に曲げた屈葬(くっそう)の状態で埋葬されていました。人骨は頭から脚まですべてそろっていましたが、頭蓋骨の頭のてっぺん付近に銅剣が折れた状態で、突き刺さっているのが確認されました。この発見は、この地域で、何らかの争い事が起きていたことを物語っている他、銅剣が実践で用いられていたことが判明しました。また頭蓋骨は低身(ていしん)で、横長の顔の形状をしており、長身(ちょうしん)で、面長(おもなが)の北部九州の弥生人の特徴とは異なる縄文系の特徴を継承(けいしょう)しています。歯には抜歯をした痕跡も残っており、弥生文化と縄文文化が融合した社会がこの地で確立していたことをこの人骨が教えてくれています。なお、この人骨は銅鏃がささっていると報告されていました。
ページTOPへ


6
笹塚古墳出土亀形飾金具(ささづかこふんしゅつどかめがたかざりかなぐ) 指定:国指定重要文化財 時代:古墳時代(壱岐市教育委員会所蔵)

ささづかこふんしゅつどかめがたかざりかなぐ写真 壱岐市にある長崎県最大級の円墳(えんぷん)である笹塚古墳の石室の中から発見されました。見た目“亀”というより“すっぽん”を模してつくった金銅製(こんどうせい)の飾金具です。渦巻き状の文様が描かれた甲羅(こうら)部分から、頭と尾そして4本の足が出ています。裏面はくぼんでおり、立体的につくられています。頭は2つの眼のまわりや首には皺(しわ)が表現されています。尾には生えた毛の様子が、脚は4本の指が表現されており、それぞれの脚で皺(しわ)の場所も異なるなど緻密(ちみつ)で繊細(せんさい)な描写でつくられています。考古学的資料としてだけでなく、美術的にも価値のある一品です。
【遺物の大きさ】
縦 : 10.8cm 横 : 6.2cm 高さ: 1.8cm
ページTOPへ


7
〔ホゲット石鍋製作所遺跡他〕出土滑石製石鍋(〔ほげっといしなべせいさくじょいせきほか〕しゅつどかっせきせいいしなべ) 指定:― 時代:中世

ほげっといしなべせいさくじょいせきほかしゅつどかっせきせいいしなべ写真
 長崎市の北側、西彼杵半島(にしそのぎはんとう)を形成する「西彼杵変性岩類(にしそのぎへんせいがんるい=滑石)」が基盤となっており、山頂付近は露出した状態で確認されています。軟らかく加工しやすい特徴を活かし、岩盤から粗形(そけい)となる形状をはぎとって、別の場所で中をくりぬき、外面を整形(せいけい)しできたものが滑石製石鍋です。この滑石製石鍋は、この地域を主要な生産地とし、平安時代の終わりころから、西日本を中心に流通した遺物です。また時期によって石鍋の形状も変化しており、他地域での中世における流通経路の解明や時期決定の基礎資料としても有効な遺物になっています。
【遺物の大きさ】
横 : 37.0cm(復元) 高さ: 16.0cm
ページTOPへ


8
鷹島海底遺跡出土元寇関連遺物(たかしまかいていいせきしゅつどげんこうかんれんいぶつ) 指定:― 時代:中世(松浦市教育委員会所蔵品)

たかしまかいていいせきしゅつどげんこうかんれんいぶつ写真
 松浦市の北部にある鷹島の南海岸一帯の海底から発見されています。元寇との関連がうかがえる遺物は、竹崎季長(たけさきすえなが)が自分の功績を描かせた『蒙古襲来絵図(もうこしゅうらいえず)』の中に、攻める日本側の兵士の頭上で破裂している「てつはう」と書かれた蒙古軍の新兵器と思われる遺物が発見されています。また、青銅製の印鑑1個が発見されており、「管軍総把印」(かんぐんそうはいん)の5文字が、側面には至元14年と刻まれています。至元14年は中国の年号で西暦1277年に相当することから、文永の役(1274年)の3年後に鋳造されたものと考えられており、弘安の役(1281年)の元寇に近い時期の遺物と判明しました。縦2m70cm、横1mの大きさの石炭岩を用いた碇(いかり)は、大きさから大型の船に用いられていたものと推測されています。
ページTOPへ


9
出島和蘭商館跡出土遺物(でじまおらんだしょうかんあとしゅつどいぶつ) 指定:― 時代:近世(長崎市教育委員会所蔵品)

でじまおらんだしょうかんあとしゅつどいぶつ写真 長崎市にある出島和蘭商館跡は、人工島として築かれ、寛永16年(1641年)より安政6年(1859年)の218年間、鎖国下の日本において、海外貿易を担った拠点となった場所です。出島和蘭商館跡からは、内面に花鳥文(かちょうもん)を描いたVOC〔オランダ東インド会社〕銘(めい)が入った皿や「日本の醤油(しょうゆ)」を意味する「JAPANSCHZOYA」の銘が入ったコンプラ瓶(びん)、モスクと漁夫を描いた19世紀前半代に制作された西洋陶磁器、VOCのコイン、クレーパイプなどが発見されています。
ページTOPへ


10
原城跡出土キリシタン関連遺物(はらじょうあとしゅつどかんれんいぶつ) 指定:― 時代:近世(南島原市教育委員会所蔵品)

はらじょうあとしゅつどかんれんいぶつ写真
 寛永14年(1637年)に起こった「島原・天草の乱」の舞台となった城で、関連するキリシタン関係の遺物が発見されています。遺物には、ヨーロッパ製のメダイがあり、図柄には福者イグナチオ・デ・ロヨラと福者フランシスコ・ザビエルが描かれています。ロザリオは銅製で両面に図柄を施しています。
 ロザリオの珠(たま)は、青色のガラス製で中央には穴が開けられており、紐(ひも)が通せるようになっています。当時の激戦(げきせん)の様子を知ることができる遺物として鉄砲の弾丸(だんがん)や大砲の砲弾(ほうだん)などがあります。
ページTOPへ


遺物情報検索 長崎県内の遺物情報をもっと詳しく検索することができます。

センター概要施設概要スケジュール東アジア考古学情報情報検索主な遺跡・遺物リンクサイトマップトップへ