相津遺跡(そうづいせき)の発掘調査を行いました (2023.06.19更新)
【2023年06月19日】
長崎県埋蔵文化財センターでは、令和5年度の「しまの遺跡の魅力」探求事業(五島地域)として、5月23日から6月9日にかけ、小値賀町前方郷に所在する相津遺跡(そうづいせき)の発掘調査を行いました。 相津遺跡は、地の神島神社(じのこうじまじんじゃ)の周辺に遺物が多く散布する範囲で、主に扇状台地の上に位置します。 過去には昭和52年に、殿寺遺跡として、弥生時代の甕棺墓6基と石棺墓1基が見つかったことで知られ、その後も複数回にわたり小規模な発掘調査が実施されています。 今回の発掘調査では、弥生時代の墳墓に埋葬された人々が、どこでどのような暮らしをしていたのか解明するために、当時の人が暮らしやすかったと思われる丘陵の尾根部の近く、多くの遺物が散らばっている畑作地で発掘調査を実施することになりました。 調査地は、ミョウガを栽培している範囲を避けて、また発掘調査によって周辺の地形が分かるように、4か所の掘削を行うことにしました。現在耕作を行っている方にお聞きしたところ、耕運機を用いる場合にもせいぜい20cm程度しか掘削していないということでした。 調査は表土掘削から埋め戻しまで、すべて人力で行いました。周辺地形と掘り下げた調査区の土層の確認を丁寧に行ったところ、4つの調査区のうち、2つの調査区で弥生時代の遺物包含層が、とてもいい状態で残っていることを確認することができました。特に第3調査区では、石鎌(いしがま)あるいは石包丁(いしぼうちょう)という、穀物の収穫具の可能性がある石器を見つけることができました。これまでは五島列島の弥生人は、魚やイルカの漁や貝などの採集や、その交易によって生活をしていたと考えられてきましたが、小値賀島では農耕をしていた可能性が出てきました。また、弥生時代中期後半(今から2100年~2000年前頃)の甕棺も見つかりました。この頃五島列島では、遺跡の数が激減することが知られていますが、そのような時期の墳墓として大変貴重です。また、使われている甕は、遠賀川以東系(おんががわいとうけい)と呼ばれる、現在の北九州辺りで作られた土器で、これまで最西端で見つかったものです。 6月4日には現地説明会を行いました。突然の開催でしたが18名の方々に参加していただき、また北松西高校や宇久高校の生徒にも、見学していただきました。今後出土した遺物を詳細に調べて、五島列島の歴史をさらに明らかにしようと考えています。