国史跡 鷹島神崎遺跡

 鷹島海底遺跡は、鎌倉幕府瓦解の遠因となった日本の歴史上重大事件である蒙古襲来(元寇)の戦場跡です。弘安4年(1281年)、鷹島沖に集結した約14万人の元軍と約4千4百隻の船は、大暴風雨により一夜にして壊滅的打撃を被った元寇終焉の地として知られています。
 松浦市鷹島では、昭和55(1980)年から継続的に発掘調査が行われ、陶磁器や武器・武具類など約4000点が出土。平成23(2011)年には水深23mの海底から元軍の沈没船が発見されました。
 平成24(2012)年3月、これまでの調査・研究の成果から鷹島海底遺跡の一部である鷹島南岸東部の神崎港沖海域約38万4千㎡が「鷹島神崎遺跡」として、水中遺跡では我が国で初めて国史跡に指定され、令和4年3月で10年目を迎えました。
 令和2年度に『海底に眠る歴史!元寇のタイムカプセル引き揚げプロジェクト』を立ち上げ、『木製いかり』引き揚げを目的としてガバメントクラウドファンディング実施。令和4年秋には平成25年に確認した『木製いかり』の引き揚げを予定しています。

上空から見た鷹島神崎遺跡
上空からみた鷹島神崎遺跡

松浦市は「アジフライの聖地」になりました!

 松浦市は九州本土の西端部、長崎県本土の北東部に位置します。沿岸部には変化に富む海岸線が連なり、北松浦半島を構成するとともに、伊万里湾を囲むように離島を含む5つの有人島からなります。養殖や沿岸漁業が盛んで、アジの水揚げ量は日本一を誇ります。
 平成31(2019)年4月に「アジフライの聖地」を宣言し、令和2年(2020)12月には松浦市が「アジフライの聖地」として商標登録されました。

松浦自慢のアジフライ
松浦自慢のアジフライ
アジフライのモニュメントと鷹島肥前大橋
アジフライのモニュメントと鷹島肥前大橋

長崎県内の水中遺跡分布調査

 長崎県は多くの島々をもち、わが国の西端として古くから海外との海を介した交流の場になりました。
 長崎県埋蔵文化財センターでは、こうした海とのかかわりの深い本県の文化的特徴を理解し、水中における埋蔵文化財の保護を推進するため、令和3年度より「長崎県水中文化遺産保存活用推進事業」を実施しています。その中で、本体験講座および県内水中遺跡の分布調査を行っています。

 全国に46万ヶ所以上ある遺跡のうち水中遺跡は約400ヶ所に過ぎず、県内でも54ヶ所が知られるばかりです。近年、松浦市・鷹島海底遺跡の調査成果もあり、県民の水中遺跡に対する関心も高まりつつあります。
 その一方で、水中遺跡が「どこに」「どのような範囲で」広がっているのか、「いつの時代の」「どのような」遺跡なのかは十分に把握されていないのが現状です。このままではまだ知られていない水中遺跡が自然災害や開発行為で傷つき、本来活用できたはずの文化財が失われてしまう危険性があります。
 そこで、長崎県埋蔵文化財センターでは、県内全域の水中遺跡の分布調査を実施しています。文献の読み取りや聞き取り、現地の沿岸部踏査、水中でのシュノーケリングおよびスキューバダイビング調査を経て遺跡の把握を行い、所定の手続きによって周知しています。
 令和3年度は壱岐・対馬地域での調査を行い、新しく1件の水中遺跡を発見することができました。令和4年度は五島地域での調査を行います。長崎県の新たな魅力発見に向けて調査を進めます。

対馬での潜水調査の様子
対馬での潜水調査の様子
五島列島の調査地例
五島列島の調査地例